白樺王子の愛するブログ

ほんとうのしあわせのために

【自分研究】相手の話に抵抗感や反発感を抱かないようになりたい

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他人の世界観を否定する権利はないと思っています

人の話を聞いたときに、とっさに頭に思い浮かぶことというのがあると思います。ほぼ反射的に頭の中に出てくるので、無意識の部分でやっていることなのかな?と思うのですが、興味や関心の薄い話の場合は心を閉ざしてインプットしないようにしているような気がしています。これって僕の可能性を自分自身で下げてしまっている行為なんです。気付いてはいるのですが、ついついやってしまいがちです。

僕は「気付いているけど、ついついやってしまう」「どうしても変われない」という場合は、無理して変わることを選択しないように意識しています。そこに執着するとかえって自分を苦しめる結果になるからです。変えようとするのではなく、受けいれて、どうすればしあわせの方向に持っていけるか?を考える方が楽しいですし、前向きな気持ちになれる気がしています。

僕は以前の記事でも少しふれましたが、人の話を聞いたり、興味のある文献を読むと、「そうじゃないんだよな~」といった反論のような感情がとっさに出てきてしまうことがよくあります。そして、この感情が出てくるときはいい気持ではないのです。少しだけ、憤りに近い感情に似ていると思います。

 

shirakabaouji.me

 

僕はこの感情が湧きあがる背景には、「自分がもてはやされたい」といった意識が眠っていると推察しています。幼いころ、褒められることが少なかったので、褒められることに特別感を感じているのだと思っています。潜在意識が、「自分の方が優れているぞ」と自慢のような感情につなげて、「褒められたい」に繋げようと操作してくるのがわかります。

確かに、褒められれば嬉しいですし否定する気はないのですし、自己のオリジナリティを他の人に認めてもらうことは生きている意味だとも自己理解しているのでそういった感情につながることはいいことだと思うのですが、「他人の世界観を否定する権利」は僕にはないと思うのです。

「そうじゃないんだよな~」という感情は、もうすでに他人の世界観を否定していることになってしまう、争いに繋がっていってしまう火種になると僕は考えています。

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少しずつ変えていければいいと思います

先ほど無理して変わることを選択しないように意識していると言ったばかりなのですが…。思ってしまっても、訂正することはできます。無意識に否定の感情が出てきたら、すぐに「あ、またやっちゃった!」と思い直して、そこは相手の世界観だぞ!と脳に言い聞かせています。

今はまだ、無意識に否定が出てしまいますが、このやり方を実践して続けていれば、思っちゃっても訂正するのが当たり前になってくれると僕は思っています。訂正するのが当たり前になれば、「どうせ訂正するのだから最初から思わないよ」と脳が認識してくれれば実質「変わった」と言えると思うので、コツコツ続けていこうと思います。

僕は否定という感情にすごく敏感です。されることも苦手です。しかし、することを無意識でしようとしてしまいます。されて嫌なことはしたくない、でも無意識にそう思ってしまう、これでは僕が考える理想の自分には繋げられません。自分で書いていて思うのですが、人として、最低な部類ですね(笑汗)。

否定という感情がこの世界に存在するのならば、必要な感情なのかもしれません。神様の試練という人もいれば、この感情を感じることを楽しむために生まれてきたという人もいます。処々それぞれ、考え方があっていいと思うし、どれも面白い考え方だと僕は思います。

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感情のその先をイメージするといい感じな気がします

今朝、明け方前に目が覚めて、その時とてつもなくふてくされたくなる感情に見舞われました。外は土砂降りで、天気予報で明日は雨、人生初キャンプの予定だったのに残念な気持ち、そしてどうして思うような現実になってくれないんだ!と自分で嘆きたくなる感情でした。

もう一度寝て、目覚めた時は少し軽くなっていましたが、なぜか望んでもいないのに急にやってくるこういった感情、手放したいのになぁっと思いながら通勤していました。するとふと気づきが降りてきました。

この感情を抜けた先は笑顔の自分が待っているんだろうな?この感情は喜びを感じるために神様がくれたギフトかも?

するとキャンプ場からメールが来て、大雨の恐れがあるのでキャンセル料免除の連絡が来ました。すると僕の脳がこんなことを思い始めました。

キャンセルする人が続出なら、逆に貸切状態でいい感じかも?雨の初キャンプもいい思い出かな?

今は少しワクワクしながら、この記事を書いています。どんな展開になっても僕はしあわせなんだということをついつい忘れてしまいますが、ずーっと閉じこもったまま、ふさぎ込んでしまうような気持には少しずつですがならなくなってきた気がします。

話はそれましたが、否定が沸き起こるのは自己防衛の現れなんだと思います。確かに僕は臆病です。心配性、不安に弱い生き物です。でも、不安のその先のイメージを考えるようにすると不安は安心の前触れと捉えることができるのではないか?と言いたかったのです。今回のように結果的にはワクワクに繋がっている現実をみれば、納得がいきます。不安に打ち勝つことが出来るようになれば、否定する必要もなくなるので、相手の話に反感を抱くこともなくなるのでは?という僕の推論です(笑)。

今後実践していき、いい結果が出ることを期待しています。本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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撮影地:山形県 銀山温泉