先日納車された新しい相棒と共に、私の聖地、八千穂高原へあっちゃんと一緒にドライブへ行ったときに、湖畔での一枚。白樺に囲まれてしあわせでした。
【小話】幸せでいる方法は望まないこと
少し極端な考えですが、この言葉は斎藤ひとりさんが神様に教えてもらった方法だと言っていました。最近僕が実践している過去の自分に感謝する方法に通ずるものがあるなと思います。
何も望まないということは、心が満たされているということ、心が満たされていると、感謝の念に繋がっていきます。逆もしかり、感謝の念を忘れずにいると、心が満たされていきます。
今あるものに感謝し続けるということは、望みを持たないこととも言えます。何も望まないと言うのは究極なので、現代人には向かないと思いますが、知っていれば、バランスを取ること、気を付けることが出来ます。
現地についたときは曇り模様だったのですが、雲の隙間から晴れ間が見えた瞬間、輝きだした白樺ちゃんたち。美しくてため息ばかりでした。
望むことと、願うことは違う
これは僕の中の概念なのですが、望むことは、自分の願望を叶えるために、自らの意思で行動にうつすこと、願うは、行動に関わらずに願望が叶うまで待ち続けること、このように考えています。
僕は望まないで自分の叶えたい願望を叶えるには、願うことだと気づきました。自らを制御せずに、今やるべき事を全うして願っていれば、気づきが得られるのだと考えました。
せっかく気づきを得られても、その時の自分の心が満たされていなかったら、行動にうつせないと思うのです。なので、とにかく目の前のことに集中して、願望は叶うまで忘れないこと、そして信じ続けることがいいのかなと思いました。
八千穂高原自然園の中にあるもみじの滝です。夏の高原の涼しい風とたっぷりのマイナスイオンに癒されました。
僕は地球という星で遊んでいます
こんな言い方をすると、真面目に生きている人に怒られてしまうかもしれませんが(笑)。スピリチュアル的な捉え方ですが、ハイヤーセルフというものがあります。斎藤ひとりさんはアメノミナカヌシ様と呼んでいます。すべての魂の中心であり、その魂から個、人の肉体へ宿り、肉体を味わい、魂の苦しみ、喜びを味わうために生まれてきているという考え方があります。僕はこの考え方を自分に採用していて、つまり、自分に降りかかる全ての事柄は、楽しむためにやってくるのだと思うようにしています。
自分にふりかかる災難も、すべては望んでやっていることなのだと思うと、心の奥の方ですぅっとなにか軽くなる気がします。そして、どうせ遊ぶなら、楽しいかったり、嬉しかったりする方が好きなので、自分を研究して、楽しく、嬉しく過ごせるように、日々を生きていきたいと思います。
今日の一枚といいながら、何枚も写真を載せていますが...汗