
人が死を悟ったときに後悔する5つのことを聞いて
ある末期患者に接する看護師の方が書いた本にこのようなことが書かれていました。
1.もっと自分らしく生きればよかった
2.あんなにガムシャラに働くなくても良かった
3.言いたいことははっきり言えばよかった
4.もっと友達と連絡を取ればよかった
5.もっと自分の幸せを追求すればよかった
僕はこの5項目を聞いて、自分研究という人生の課題に40代で気づけて本当に良かったと思いました。私は健康ですので、死を悟った人の気持ちは理解できませんが、この5項目はこれから人生を生きていくためのしあわせの指標になりえると思いました。
もっと自分らしくという言葉や、言いたいことははっきり言えばよかったなどの言葉は、もっと自分の幸せを追求すればよかったにまとめられる、まさに自分研究の要素と思います。また、ガムシャラに働くという部分も、本当に自分の好きなことができているか?という部分に繋がってくると思いました。
僕は、友達はそんなに多い方ではないので4番目のもっと友達に連絡を取ればよかったの部分は友達というよりは、あっちゃん(最愛の人)となるのかな?と思います。
つまり、すべてをまとめれば、自分が自分をいう存在を他の存在に認めてもらうこと、承認欲求を満たすことに繋がっている気がします。そしてすべては、自分がいつもいい気分でいられることを追求し続けること、これに尽きると思っています。
人生は一度きりなので思い切っていいと思っています
人生は一度きりなのです。僕はそれをいつも忘れないようにしています。例えば、今日はなんとなく仕事をする気が起きないなと思ったときは、身体の調子に関係なくすぐ休むようにしています。
ガムシャラに働いて後悔するくらいなら、休みたいときは休むという自分の欲にもっと素直になってもいいと思います。そして、休んだ時は、思いっきり羽を伸ばして、気持ちいいと思うことを存分に自分に経験させることが大切だと思います。
自分が休んで迷惑をかけたと考えることはないと思います。それよりも、自分のいい気持ちを維持して、周りの人にもそれが伝わるように意識する方がいいと思っています。
やりたいことがあって、それをお金の問題で諦めるのはもったいない
やりたいと思ったことがあって、それをお金の問題で諦めるのは凄くもったいないとも思っています。
例えば、僕はカメラが趣味です。特に自然に浸ることが好きなので、自然の木々や水辺の風景がとても好きで、いいカメラでその景色を捉えることがとても好きです。カメラはハマりだすとレンズがたくさんほしくなります。また、いいカメラもどんどん欲しくなります。数年で沢山のお金をカメラに注ぎ込みました。
最終的に僕がかったライカというカメラは、車1台買えてしまうような金額のカメラですが、そのカメラが写し出す絵はまるでそこに本物の世界が存在しているかのような、息を吞む美しい写真を残してくれるカメラでした。
そのカメラのおかげで、僕はその辺に生えている木ですら、その美しさに気づくことができました。その辺を歩いていて、木を見るだけでうっとりするんです。これはライカというカメラが僕に与えてくれた金額以上のしあわせです。カメラのおかげでこの地球の美しさに気づくことができたからです。
カメラに何百万もの大金を次ぎこむという人は多くないと思います。僕も決心するのにかなり勇気を出しました。でも、あの時決心して本当に良かったと思っています。死んでも後悔しないと自信を持って言える一つの経験です。
自分のいい気分を常に最優先して人生の後悔をしないように生きています
僕は決して、ワガママを押し通すとか、他人の迷惑なんて考えなくていいと思っているわけではありません。ただ、考え方として、他人に迷惑をかけないように自分を抑制し続けていることは自分のしあわせを諦めているのと同じだと思っていて、その状態というのは、周りの人にも伝番すると思っています。
そうした気持ちでいると、本当の自分というものを出せなくなってしまい、冒頭の5項目のような後悔に繋がっていくと僕は確信しています。
本当に自分の心の内を明かして、それを他の存在に認めてもらった時というのは、この上ない幸福感に包まれると思いますし、そういった存在というのは親友など、とても大切な存在なのではないでしょうか。自分の事を話すということは、本当に大切なことで、少々天邪鬼な考え方でも、他の意見を気にせずに、思い切って発信するように心がけています。そして、この自分研究がとても楽しいです!
もっと自分という存在を、他の存在にアピールしていいと僕は思います。僕が、このブログを書いているのも、その理由で書いていますし、このブログで僕が主張していることは、自分が生きた証であり、自分の最大の価値になると思っています。
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